2025年12月30日 松本 知之
今年もあと少しで終わりますが、今年は僕にとって例年とは少し意味が違う一年だったかもしれません。中期目標の1,000件の物件提供が見えたからです(少し気が早いですが)。当面の目標として1,000件の物件提供を目指してきましたが、足元では500件を超え今年度末は700件(計画は650件)に手が届くかもしれません。
物件提供数が200件程度だった時に、ICCサミットという大規模なスタートアップが集まるイベントで「5年以内に1,000件を目指します!」と宣言しました。自分の自信とは反対に、僕の言葉には説得力がなく、誰にも届いておらず悔しい思いをしました。説得力を持たせるためには実績しかないと、1,000件を当面の目標に定めました。そこからは、スタートアップのピッチイベントや会合に出る時間を惜しんで、事業活動に集中しました。1件でも多く住居を提供することに、起きている時間の全て注ぎました。営業車のナンバーも「京都1000」番にしました。
不思議なもので自分の熱量と比例して物件提供ペースが増えていきました。気づけば、1,000件は遠い目標ではなく確実にクリアできる通過点になっていました。取締役の中田を中心に、明るく楽しくも強いチームもできていました。
創業時は実家に本店登記して僕の部屋を事務所にしました。実家で仕事すると流石に気まずさもあり、毎日スタバで仕事をする日々でした。実際には全くやることはないのに、母親や家族が心配しないよう忙しいオーラを漂わせて外出して、スタバで時間を潰していました(スタバの皆さま、温かく座席とWifiを貸して頂きありがとうございました)。
起業して1年間は、人生をかけて起業したつもりでしたが、誰にも相手にされない日々でした。多額の資金が必要な事業のため、(嫌々ながら)異業種交流会に顔を出したり、中小企業の社長に出資のお願いのため社長室の前で2時間待たされたり、出資依頼のプレゼンの為に何度も東京に行きましたし、東京でアポイントをドタキャンされたりと思い返せば惨めな日々でした。
銀行でも顧客とみなされず相手にされない日々でした。「3期分の決算書が事前審査に必要です」とか「御社は口座すら作ることができないです」と説明を受け、厳しい現実を突きつけられました。悔しさのあまり、去り際に素直にお辞儀できない自分がいました。
不動産屋からもまともな物件が紹介されることはありませんでした。天井から朝日が覗けたり、床下からタケノコが生えている貴重な掘り出し物の物件しか紹介してくれませんでした。「素晴らしい物件、ありがとうございます!」と回答するのが精一杯な状況でした。当時はリノベーターという社名には程遠く、修繕もできないので工務店からの言い値で発注していました。
創業初期は資金調達が経営課題だったために、決算書を黒字にすることが一つの経営課題(と、私は信じていた)であり、役員報酬は2年間はゼロにして(飲み代や高級車を経費にして節税する会社を横目に)初年度から経常黒字の決算書を作りました。3年目から月額35万円頂くようになりましたが、今度は口座から現金残高が減少するのが不安で役員報酬の未払いが常に3か月程度ありました。生活費を稼ぐために中小企業診断士の資格を活かしたバイトを多い時は週に2~3回、2022年まで続けていました(株主の皆様申し訳ありませんでした)。本業で食えないお笑い芸人と自分を重ね合わせて、いつかメジャーになるからなと歯を食いしばってました。
虚しさ、惨めさ、悔しさ、ハングリーさから始まった創業でしたが、VCから出資を受けた際には何者かになったかの様な高揚感がありました。高揚感は束の間で、その後は不安と焦りとプレッシャーから寝つきが悪い日々が続きました。起業してチャレンジすることが幸せだったのか、自問自答することもありました。辞めた方が楽になるのではないかと、先の見えない暗闇を一人で歩いている気分でした(今は起業家が天職だと自認しております、ご安心ください)。
500件を超え1,000件まであと少しとなった今、スタッフを信じて任せて僕は前に進むだけです。5年前と比べると夢みたいな数字ですので、腕を高く突き上げて勢いよくゴールテープを切りたいと思います。
それでは、来年もリノベーター株式会社をよろしくお願いいたします!
以下、追伸
大きな目標を目の前にすると、どうしても辛かった創業当初の事ばかりになってしまいました。厳しい現場作業やクレームがあったとしても、誰にも相手にされなかった創業期からすると(私にとっては)幸せなことなんです。昔話を社員にするとウザいだけなので、社員は誰も見ないと思いますが公式ブログに少しそっと書き添えてみました。
社員のみんなに届けー!!
